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まちサポくさつ (公財)草津市コミュニティ事業団

団体インタビュー

地元で汗かき、仲間と乾杯

川原町よそじ会 木村智さん

人が、家が増える

木村さん  川原町は笠縫東小学校の南西に位置する約300世帯の静かな住宅地。生まれも育ちも川原町という木村さんは「約50年前はかなり違う景色だった」といいます。
 「子どもだったのころは家が60軒くらい。ほとんどが農家でした。周りは田んぼとため池。小学生になると、ため池が埋め立てられ住宅地に変わっていきました」
笠縫東小や新堂中ができたのが昭和53~55年ですから、このころいかに人と家が増えたかがよくわかります。

 当時に比べると約4倍に膨らんだ川原町。川原町よそじ会が生まれた理由もこの急激な人口増にあるようです。

 「私が成人するころまでは、まだ青年団があって、若者は当然のように入っていました。私も23歳まで青年団で地元のことに関わって、それからは仕事に専念していました。
 やがて家庭を持ち、仕事にも余裕が出てくると地元にも目が向くようになったのですが、そのころになると引っ越してきた人の方が多くて、自分の町内でさえ顔を知らない人が結構いました。町内の活動もずいぶんと減っていましたね。

 それで、私の少し先輩世代が『町内の若手同士が知り合い、できることで町内会の手伝いをしようじゃないか』と会を立ち上げたのが約30年前です。幼馴染だった私たちは、40歳になると自然な流れで会に入りました(笑)」

伝承のおでんレシピ

 「復活!青年団」って感じの川原町よそじ会。最初に始めたのは納涼祭の立上げです。「昔は夏になると盆踊りがあったんです。出店なんかもあって子ども心に楽しかったですね。その後、参加者が減ったり、出店で揉めたりとか色々あったみたいで、いつしかなくなっていました。地元の子どもたちに、このまちでの思い出を一つでも多くつくってあげたくて納涼祭を企画したんですよ」

 今は町内会行事となった納涼祭ですが、出店はよそじ会が担当しています。「毎年必ず出すのはが、おでん。会に伝わる伝承のレシピを見ながら作るんですけど、会のみんなでつくるもんだから味が定まらないですね(笑)。中には『料理するのはこの時だけ』なんてメンバーもいますが、毎年、完売ですよ」

貴重な時間と仲間

神輿担ぎ  納涼祭の他にもお祭りでの神輿の担ぎ手など、町内会や地域での“男性の手を貸してほしい場面”には、よそじ会の登場です。
皆さんの楽しみについて聞きました。「何といっても、終わった後の打ち上げ。これを楽しむために地域で汗をかく感じです(笑)」
 現在のメンバーは30人。もちろん後から川原町に引っ越してきた人もたくさんいます。皆、この会で顔見知りになったのだとか。

 「男性って地元で顔見知りをつくるのが意外と難しいもの。だから、この会があって助かりますね。近所で出会えば自然と立ち話にもなります。空き巣や空き家など、それぞれの組の防犯情報を伝え合ったりして貴重な時間であり、仲間たちです。
 最近は会の中で釣りやバイクなど同じ趣味を持つ人同士でグループをつくって楽しむ人たちもいますよ。こうして地域に住む人たちの顔がわかりだすと、町の役が回ってきたときも積極的に動けると思います」
 近所に趣味の仲間ができるって、うらやましい限りですね。

 会にはその年の役や連絡網以外は、決まりらしい決まりはありません。これが長く続いてきた秘訣だとか。
 「みんな、最後はやっぱり地元に恩返しをしたいんですよね。それに、できれば楽しくつながりたいとも思っています。でも忙しい年代です。単身赴任もあれば海外出張の人だっています。“できる時にできる人ができることをする” ぐらいの良い意味でのゆるさがないと、そもそも楽しめませんからね」
さぁ今日も、地元で汗かいて、お待ちかねのカンパイです。

卒業しても

 ルールをもたない“よそじ会”なので、退会の年齢も決まっていません。それでも、おおよそ60歳ぐらいになると皆さん自主的に卒業するのだとか。
 実は、よそじ会の卒業者でつくる「まちづくりの会」なるものがあり、そちらに移って道路の清掃活動に参加したり、町内会の役をしたりと次のつながりを育みます。
世代に応じて、まちと、そして人とつながる場のある川原町もまた、まちのこれからのカタチなのかもしれません。



コミュニティくさつ127号 2021.3月
「自然生活、はじめました。」より

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