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まちサポくさつ (公財)草津市コミュニティ事業団

団体インタビュー

再三の決壊 中ノ井川のその後・・・

川端 宗樹さん

草津市史の一節には・・・

 昭和44年6月25日一夜で91mmの豪雨があり、26日朝、北大萱の中ノ井川右岸が決壊し、水田30ヘクタールが浸水した。中ノ井川の破堤は6月11日、同13日に次いでこの年は3度目であった。さらに同河川は8月2日にも切れ、浜街道が3km冠水する事態を引き起こした。(中略)
 
昭和45年6月14日から16日にかけて県下で200mmの豪雨が降り、各地に被害をもたらした。16日未明、市内でも中ノ井川がはんらんし、北大萱付近では右岸の堤防が長さ10mにわたって決壊し、田畑約12ヘクタールが浸水した。またそのあとも同河川の右岸が約7mにわたって決壊し、水田約30ヘクタールが冠水している。
付近の市道も水びたしとなり、一部家屋に床下浸水し、消防署員や消防団員・地元約100名が杭打ち、土のうで食い止めた。

双子の川と、もう一つの川

中ノ井川  その前に中ノ井川についての予備知識を少し。笠縫東地区を主に流れる中ノ井川は野洲川の支流として、伊勢落(栗東市)から流れてきて駒井沢で駒井川と分流します、集町でまた合流した後、葉山川と一緒になって琵琶湖へと注ぎます。中ノ井川と駒井川、前号の「ゆっくり草津 街道物語」のコーナーで「双子の川」として紹介しましたね。

 市史にあるように再三の決壊を繰り返した中ノ井川は、その後、改修計画がたてられました。川はいくつかのまちを流れていきます。 だから治水であれ、利水であれ、その地域だけの努力だけではままなりません。自然との共存はそれほど難しいもの。地元で丁寧に意見を調整しながら、市や県など行政と話し合いを重ね、みんなで川と向き合ってきました。こうした地道な取り組みで、刈原(栗東市)から大きな葉山川へ水を流すショートカットが実現し、中ノ井川への水量が調節されるなど、少しずつ改善されつつあります。今でも市や県の河川担当者も加わって災害環境特別委員会議を設け、色々な対応について努力を重ねられています。

治水という意味では、もう一つ紹介したい場所が新堂中学校の前にあります。学校の横を流れているのは駒井川、そこに垂直につながるもう一つの川があります。でもこの川、よく見ると水がありません。
 この川は今井川といって、ここから中ノ井川までつながっています。これは中ノ井川と駒井川、どちらかの川が増水したときに、もう一方の川に水を流して水位を調整する大切な役割を担って作られました。「いざ」というときに流れる川です。こうして流域地域だけで解決するには困難な問題については、行政の協力が欠かせないんですね。

川を使わせてもらう

川端宗樹さん  日ごろ、川と向き合う地元の努力についても聞いてみました。中ノ井川と駒井川、2つの川が流れる集・駒井沢・新堂は駒井三郷と呼ばれています。駒井三郷ではそれぞれ水利委員を置いて、いくつかのポイントにある門扉を開けたり閉めたりして、川の流れを調整しています。農繁期の水が必要な時は溜めて必要な所に流す。一方、大雨では開けて琵琶湖へ水を逃がすわけですね。常に天候や情報に目を配る大変な役目となります。
 
 また中ノ井川はいわゆる三面張りです。両岸は高さ3mぐらいですが、一部高さが低い所もあります。低くなっている所は住民の皆さんが水防訓練の折につくった土のうを積み上げて一定の高さを保っています。「高さが違うと、そこが切れるポイントになるんですよ。川の境界より民地側は個人の管理となっていますが、『こういう状態では危ない』というところ。ここもゲリラ豪雨といわれる鉄砲水が来ると地面の高さまで水位が上がり、心配な場所の一つです。いつ来るか分からないのが災害だから、そういう所を住民で補っています。覆っている草を刈って、土のうをみんなで積むのも水害や防災・減災の意識を高めてもらうためなんです。消防訓練ではこの川から取水する訓練もしています。こうして自然の水利を利用しながら、火災にも防御にも使わせてもらっているんです」と川端さん。

“大切な水”だからこそ 利水と治水

決壊した中ノ井川  前述のとおり中ノ井川は野洲川の支流で、清水に近いきれいな水です。ブランド化を考えるくらい、地元ではこの水で作った米に自負を持たれています。こんなに大切な水だからこそ、これまでも川上と川下のまちで「水の取り合い」をめぐるトラブルだって幾度となくありました。上で水を止められると下に流れない。今でも農作業が始まる時には、川上のまちに行って「今年も上手に水を流してくださいね」とお願いしているそうです。川端さんは言います。
 「上流から下流まで、川の流域のまちや行政がお互いに協力していかないと利水も治水も上手くいかない。この川を守りながら、そして防ぎながら上手に利用していきたいと思っています。守りながら防ぐ。水をコントロールするには大変な苦労がかかるんです。」

 あの決壊から 42年。”大切な水”だからこその利水と治水、その努力は今も続いています。


(写真)大雨で決壊した中ノ井川(昭和44年6月)
   草津市史資料集5「ずっとKUSATSU(歴史写真集)」より

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