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まちサポくさつ (公財)草津市コミュニティ事業団

団体インタビュー

14年続くあいさつ運動 まちの子は、みんな孫。

富樫眞吾さん(若竹町)

自問「自分にできること」

富樫眞吾さん  オレンジの帽子とジャンパーに“あいさつ運動”のタスキをかけた富樫さん。真っすぐに立つ姿勢と声の張りは82歳という年齢を感じさせません。「カクシャクとした」とはこのような人を言うのでしょう。同居するお義母さんの介護、最近では奥さんの介護が一日の大半を占める毎日。「だから私の地域活動は、朝だけしかできないんですよ」と富樫さん。頭が下がります。

 秋田に生まれ、神戸や京都で働いてきた富樫さんが、ここ渋川に引っ越してきたのは約20年前。このころ、子どもたちが巻き込まれる痛ましい事件が全国ニュースで報道されるたびに、「これは大変。自分にできることは何なのか」と常々自問し、朝夕の町内パトロールを始めました。富樫のおっちゃん、ついに始動です。

下を向く子どもたち

見守りたい帽子  渋川小学校が市内13番目の小学校として開校して間もなくのこと。町内会の役をしていた富樫さんはある朝、子どもたちの集合場所に行くときがありました。集まっている子どもたちに「おはよう!」と声をかけても、子どもたちは「……」。下を向き、無言の子どもたちが気になって、そのまま小学校まで付き添った富樫さん。校門で出迎えている校長先生に「明日から毎朝、校門で子どもたちにあいさつをしても良いですか」と了解を得たのが始まりでした。14年前のことです。

 実はこのころの富樫さんはお義母さんの介護も始まり、朝夕の町内パトロールが難しい状態になっていました。生活のリズムが変わるにつれ、「自分にできること」も変わりつつあったのです。

 「おはようございます」富樫さんの声かけが始まりました。ところが子どもたちの返事はありません。子どもたちは町内パトロールをしていた“富樫のおっちゃん”のことは知っていても、あいさつは返ってこない。目を伏して、富樫さんの顔を見ない子もいました。そこで富樫さん、子どもの視線にまでしゃがんで姿勢を落とすように心がけました。すると子どもたちは目を見て「おはようございます」と返してくれるようになったのです。今では「富樫のおっちゃん、おはよう!」とハイタッチする子もいます。

大人になっても

登校風景1  継続は力、14年間続けると嬉しいことだってあります。「毎朝、おっちゃんのあいさつで目が覚めます。ありがとう」と書かれた年賀状をもらったり、自転車で通り過ぎる年配の女性から「いつも孫がお世話になりまして」と言ってもらったこともあります。小学校の6年間、一度もあいさつを返さなかった子が、中学生になって「おはようございます」と初めて言ってくれたときは本当に嬉しかったそうです。

 また先日は、「おっちゃん」と若い女性に声をかけられました。赤ちゃんを抱っこしています。あいさつを始めた当時6年生だった女の子が里帰り中に、富樫さんを見かけて声をかけてくれたのです。大人になっても覚えてくれていた、なんとも嬉しい話です。

地元の子どもは“みんな孫”

登校風景2  富樫さんは言います。「草津に住んで20年。私の子も孫も他のまちで暮らしていて草津とは関係ありません。だから『生まれ育ったまちでもないのに何で続けているの』と聞かれることもあります。私にとって渋川の子どもたちはどの子も同じ『私の孫』。
今年に入って体調のこともあり少しお休みしていました。暖かくなって、久しぶりに行くと『おっちゃん元気?学校来てくれなかったな』と言われてしまいました。毎朝、私の方が子どもたちから健康と元気をもらっているんですよ。
朝はお父さんもお母さんも仕事に出かけるのに忙しいでしょ。つい忘れがちだけど夫婦でも親子でも、どんなに近い間柄だって自然とあいさつする家庭がいいなって思います。あいさつは一日の始まりですからね。」

 子どもたちの安全が脅かされる事件を聞くたびに心が痛みます。わが子を親だけが守るにも限界があります。そこで学校との連携や地域の活動に積極的に参加して、互いに知り合うことが大切なようです。子どもが危ないことをしていたり、トラブルに巻き込まれそうになったときに、声をかけてくれる大人がいるまちでありたいものです。そんなまちを皆でつくっていくためには、「自分にできること」があなたにも、わたしにもありそうです。

 最後のひとりが校門に入るのを確認しホッとした表情で、自転車で自宅に帰る富樫のおっちゃん。
今日もありがとう。

取材・掲載

コミュニティくさつ113号 2017.6月
「まちの安全習慣、元気にいってらっしゃい。」より

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