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まちサポくさつ (公財)草津市コミュニティ事業団

ゆっくり草津 街道物語

9.山田港への道 【山田】

建物の床にまでお堀の印

山田街道の写真  木川薬師堂は鎌倉時代につくられた国の重要文化財である薬師如来をまつっており、以前は両脇に2体の毘沙門天がありましたが、現在は栗東市立歴史民俗博物館に保管されています。今も薬師の日である1月8日と8月8日には、栗東市金勝山の金勝寺からお勤めに来られます。
 
 さて市立武道館に着きました。ここは武道館の建設に伴い行った平成12年の発掘調査から、この場所に二重の堀を持つ山田城があったことがわかりました。目を凝らすと武道館の玄関前に点々と丸い印が残されていて、その軌跡はなんと館内にまで続いています。この印の跡をたどると直線でなく弧を描く円形の堀だったことがよくわかります。
 この地を支配した山田氏は室町時代に活躍した佐々木六角の家臣で、琵琶湖からつながる山田港を治めるため、ここに城を構えたといわれています。

青ばなと赤いポストと

三日月楼  木川は「あおばな発祥の地」といわれ、山田市民センター前にはあおばなにちなんだ万葉歌碑が建てられています。浮世絵や東海道名所図会にも「あおばな摘み」の絵が描かれ、友禅染の下絵としてあおばなが用いられていたのはご承知のとおりです。
 
 山田市民センターに来たらもう一つ知ってもらいたいことが。この場所は、昭和9年に室戸台風で倒壊した山田小学校がありました。この時、校庭の欅の木に子どもたちを結びつけ強烈な暴風雨から命を助けたという「命の木」や、校舎倒壊の犠牲となった17名の生徒と一人の先生の名が刻まれた石碑がここにあり、自然の脅威と命の尊さを今に伝えてくれます。

 市民センターから県道山田草津線に出る角には、昔懐かしい赤くて丸いポストが現役で頑張っていて、そこの家の奥に「山田郵便局」の看板も見ることができました。以前は郵便局だったのでしょうか。なつかしいほのぼのとした存在のポストです。
 
この山田道から琵琶湖に向かいます。渡海神社を少し過ぎたところ、川に面してなんとも風情のあるたたずまいの酒屋を見つけることができます。1階は出格子、2階は欄干のある廊下の家屋の妻壁にはくっきりと三日月が刻まれています。こちらの酒屋さんが石山寺近くにあった料亭「三日月楼」を買い取り、ここに移築されました。往時の2階の欄干から見た琵琶湖の眺めはさぞ美しかったことでしょう。少し歩を進めると膳所城の門を移築したとされるりっぱな門に出会いました。本多家の家紋である立葵の軒瓦が歴史の証言者です。

港に船があがれない? 山田港

旧山田港跡   旧山田港跡までは車で移動しました。山田の杉江善右衛門は、明治5年に山田と大津の航路を開きました。当時の船着き場は想像しがたく、近くに建つ記念碑とその時分、切符売場や休憩所だった建物と蒸気汽船の写真からその面影をたどるばかりです。
 昭和15年ごろから琵琶湖の水位が低下しはじめ、船がここまで上がれなくなったため、その後、山田港は河口近くに移ることになりました。昭和43年まで使われていた桟橋跡とヨシの間を泳ぐカルガモの景色が私たちにのどかな時間を与えてくれました。
 現在の北山田漁港に来ました。航海の神である金刀比羅宮がまつられ、たくさんの漁船が並んでいます。大きな建物の中で漁を終え網を直す人の光景も見られ海とはまたちがう琵琶湖のにおいを感じることもできました。漁業組合には鮒ずしを漬けた樽がいくつもありましたが、近年は外来魚に困っているという話で、琵琶湖の郷土料理である鮒ずしやホンモロコが食べられなくなっていくのはやはりさびしいですね。

日本最初の考古学者 木内石亭

木内石亭  ここから少し歩くと北山田バスターミナルに着きます。白い花をつけた大きなギンモクセイの甘い香りに包まれ、天気の良さも手伝って心も足も弾みます。
 木内石亭が暮らしていたといわれる所には隣り合わせにまつられた金刀比羅宮と貴船宮、それと常夜灯が当時は湖がここまで迫っていたことをうかがわせます。草津の偉人の一人、木内石亭は江戸中期に生き、こよなく石を愛した人物です。様々な石を収集し、東海道名所図会にも石亭が記した石の絵が登場するなど、その時代の全国な有名人でもありました。残念なことに石亭の集めた石の行方は散々になりましたが、生野鉱物館や栗東市立歴史博物館、山田小学校などで標本や集めた石の一部を垣間見ることができます。
 木内石亭邸跡から路地を少し入ると長安寺に行くことができます。浄土真宗のこのお寺は信長と石山本願寺が戦ったおり、湖南門徒の拠点となって石山本願寺への物資輸送を援助したことで有名です。
境内には古い本堂の鬼瓦が残され、先代住職が使用した御籠は草津宿街道交流館に展示されています。

 北山田会館前には江戸時代末期の道標があり 「これより山田/すく舟のり場」 と刻まれてます。今でいう案内板ですね。すぐ隣には仁徳天皇をまつった若宮神社。もともと浜のほうにあった神社ですが江戸時代なかばにこの地に移されました。門は明治36年に大津本陣の正門を移築されたもので瓦には江戸時代の年号が刻まれています。

ゆっくりと時の流れを感じて

 若宮さんの隣には薬師院。市の文化財にも指定されている薬師さんは、信長の元亀の戦いで焼けた跡があるといわれています。ガラス戸越しにのぞくと座っているせいか、丸みがあって、とてもかわいい感じの石仏さまです。こちらは禅宗のひとつである黄檗宗のお寺なので門には「不許葷酒入門内(くんしゅもんないにいるをゆるさず)」の戒壇石、にらやお酒など臭いものを食べた人はこの中には入れないという意味です。この「ゆっくり草津 街道物語」で野路を歩いたときに、常徳寺で同じ戒壇石を見ました。

 秋のうららかな陽射しを感じながら歩いた山田港跡はこの草津に人や物資を運び、街道と宿の繁栄を支えた歴史の宝庫です。船や荷馬車が往来した時代の時間の流れと比べると、現代は利便性と機能性には恵まれましたが、ついつい目先のことに追われがちです。目の前に大きく広がる琵琶湖と比良山系を眺めながら山田を歩くと、日ごろ出会えないものを見かけたり、ほっこりするような人に出会えたりします。ゆっくりと時の流れを感じてみる山田の散策に出かけてみませんか。

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