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まちサポくさつ (公財)草津市コミュニティ事業団

ゆっくり草津 街道物語

7.志那街道と志那三郷

湖上交通の重要ポイント

 志那三郷とは志那村・志那吉田村・志那中村をいい、現在の志那町・志那中町となります。
 湖に近いこのあたりは、琵琶湖の対岸にある坂本や大津を湖上交通で結ぶ志那港があり、物資を輸送する重要な地でした。湖から陸への起点となる志那街道は志那港から始まり今宿(守山)までの7 をいいます。
 蓮海寺はかつて琵琶湖に面したお堂で、広々とした湖と対岸の比叡・比良山を背景にもち、港の面影を残す常夜灯や水面のハスが美しい、草津八大名所のひとつでした。現在は「さざなみ街道」が通り、車の通行量も増えるにつれ風景も変わってしまいましたが、今も残る石垣が、そこまで湖があったことを物語ります。このあたり約40年前には魚のせり市・堀や川・水門もあったということで、漁港付近もずいぶん様変わりしたようです。
 
 柳平湖を望むのどかな田園風景の一角に「ののかみさん」と呼ばれる『野々守大神』の石碑があります。三代将軍徳川家光が乗船したといわれる御座舟「弁財丸」はその用を終えて志那浜で焼却されました。大きな松が目印になる「ののかみさん」は御座舟をまつった場所ではないかといわています。

山崎宗鑑の出身地

蓮海寺  俳諧の祖といわれる山?宗鑑は志那の出身で、蓮海寺には

   元朝の みるものにせん 不二の山

 
そして志那会館前には

   風寒し 破れ障子の 神無月

の句碑があります。他にも市内に2基の句碑があると聞きましたが、意外と気がついていないものですね。改めて訪ねてみようと思います。山?宗鑑は連歌から俳諧をおこし室町・戦国時代に活躍しました。亡くなるまでを香川県観音寺市で過ごし、草津と姉妹都市の交流を続けています。
 「宗鑑はどちらと人の問うならば ちと用ありてあの世へと言へ」
 『人が宗鑑はどこへ行かれたのかと聞いたなら、ちょっと用事があってあの世へ行っていると答えておきなさい。』という意味の歌です。(草津市教育委員会 生きるこころ歩むすがた)今でも通じるしゃれっ気のある人物ですね。

風の神を訪ねる

 風の神を訪ねる郷の一つめは志那神社です。濠に沿って松並木ともみじが美しい参道を進むと現れる本殿。この本殿は草津で最も古い木造建築で鎌倉時代に建立された国の重要文化財です。境内にある礎石はさらに古く平安時代のものと言われ、ずっとこの地の鎮守の杜とされてきました。
 続いて訪れたのは樹齢400年の藤で有名な三大神社です。こちらは風の神の志那津彦命・志那津姫命と大宅公主命をまつっています。この3人の神さまは志那三郷の大宮でもあり、三大権現とも呼ばれました。藤原氏の繁栄を願って植樹されたという『ノダフジ』は信長の叡山焼き討ちに見舞われたにもかかわらず、芽が出て現在のように大きく伸びました。「藤古木保存会」の手入れにより、地面に届くかと思われる「砂摺りの藤」は毎年5月ごろに美しい花を咲かせ、大勢の人たちが鑑賞に訪れます。

風の神・サンヤレ・藤の花

最後に訪れた風の神は惣社神社で、665年に天智帝の勅願で創建されました。こちらには樹齢500年の藤の木や歴史が感じられる鎌倉時代の宝塔があります。惣社神社は昔から志那中村の氏神さまとしてまつられ、毎年5月の例祭に大うちわを扇ぐ風神踊り「サンヤレ踊り」が奉納されます。
 草津サンヤレ踊りは志那神社・三大神社・惣社神社のほかに市内4つの地域で行われます。『サンヤレ』は「山野礼・山にお礼」の意味や「幸あれ」「参弥礼」と書いたりします。疫病などの災いが起こらぬようにと願いを込めて、鉦や太鼓を鳴らしながら踊るにぎやかな風流踊りです。

 志那はあたりの風景だけでなく、音や風も琵琶湖の近さを教えてくれます。風災を鎮めるためにまつったそれぞれの神は夫婦円満を願う夫婦の神といもいわれ、氏神さまとして地元の人々に親しまれてきました。
「風の神」「藤」「サンヤレ踊り」の3つのキーワードが共通する志那三郷めぐりは市内の喧騒から離れ、鎮守の森の静けさと田園風景に心が落ち着き、しみじみと日本人であることを感じる街道歩きでした。

コラム  もっと志那!って方に まめ知識

吉田虎之助の石像 淡水真珠の父 吉田虎之助 
 志那吉田の庄屋を努めてきた吉田家の住宅は江戸時代、享保年間の建築で、県の文化財に指定されています。明治元年に生まれた吉田虎之助は淡水真珠の父といわれ、水産産業の発展に尽力しました。

橘堂と慈音尼
 橘堂は市の文化財に指定された観音立像があります。三面六臂(3つの顔と6つの手)の特異な観音像は 年に一度、開帳があります。人がより良い生き方を求めるための「道得問答」を書いた慈音尼は志那吉田で生まれ、墓石が橘堂にあります。

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